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怒らないこと

雑記

もう1年以上前に、「怒りを押さえる or 阻止するにはどうしたらいいんだろうか」ということを真剣に考えたことがあった。
つまり、どうでもいいことで怒って気分を悪くしてしまうことをそろそろ避けたいと考えた訳だ。
例えば、満員電車でいらいらするとか、ちょっとした言葉のニュアンスで不満を持つだとか、昔あった嫌なことを思い出しては壁パンするとか、そういうことがもう嫌になったな、と考えた。

とりあえず、これは哲学の世界に近そうだ、と考えた。*1
しかし感情を扱う哲学はそう多くは無いような気がしたし、哲学は膨大なので探すのが大変だと感じた。

そこで思いついたのは儒教、仏教などの「教え」はヒントにならないか、ということだった。
私は以前からwikipediaで宗教に関する由来や考え方を読むことはたまにあったし仏教の「他力本願」という言葉が好きだったりもした。

とりあえず駅の本屋へ向かった。
私は「日本人の考え方は儒教に似ている」とどこかで読んで鵜呑みにしていたため、儒教の本を探した。
しかしあまりたいした本は見つからず(研究結果のような本はいくつかあったが)その場で見つけた仏教の本をターゲットにした。
最初に開いたのは電車の広告でみた本だったが、ほかの本も開いてみた。
その中でこれだ!と思ったのが、まんまタイトル怒らないこと著:スリランカ初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ700円)だった。
書いた人は全然しらないが、目次にあった「他人が吐いたゴミを食べる必要はない」というところが気に入った。
その頃何度も感じていた言葉だったからだ。

読んでみてわかったがこの本には、

  • 「怒り」とは何か
  • その定義は
  • 「怒るのは当たり前だ」への反証
  • 怒りによる自己の破壊
  • 怒らないとはどういうことか
  • 怒りの治め方
  • 怒りと幸福の関係

・・・など私が読みたかった事柄がほぼ書かれていた。

いろいろと書かれていることを紹介したいが、それに興味がある人には読んでもらった方が早いと思うので、先に書いた「他人が吐いたゴミを食べる必要はない」の部分だけ書き出そうと思う。

怒りは雪だるま式に大きくなるので、だいたい怒っている人は、怒って怒って、もうたまらない状態になっているのです。
怒りを自分でなくせない人間は、自分の心に怒りの毒が生まれたら、そのエネルギーを外に出さなくてはいけません。ですから、怒っている人は、そのためにしゃべっているだけなのです。こちらとしてはたいへん迷惑ですが、聞いている側に悪いところはありません。
能力のない上司が有能な部下をけなしているとします。そういう場合は、けなされているほうの部下が、心の中で「この人は歳も取っていて、能力もない。それで自分のことが心配で悩んでいて、そのストレスを発散しているんだ。だから、その状態から救い出してあげよう。」と思いながら、その人の話を聞けばいいのです。
話は聞いてあげても、相手の怒りを感情的に引き受けて気落ちする必要はまったくありません。その人は、自分のからだに溜まったゴミを外に出しているだけなのですから、わざわざ自分がゴミ箱になる必要はありません。
怒っている人の状態は、何かひどいものを食べておなかを壊して吐いているのと同じなのです。その人の言葉や行動は溜まっている毒を出しているだけですから、きれいになって落ち着くまで、思う存分出させてあげましょう。「あの人が吐いたものを食べて、私までおなかを壊す必要はない」という態度でよいのです。
たとえ、もとがどんなに美味しいものであっても、食べて吐いたものを拾ってまた食べるというのは無理でしょう?怒りもそういうものなのです。怒る人々というのは、自分がまず怒った上で、さらに人を怒らせようとしています。からだに悪いものを食べてそれを吐き、誰かに食べさせようとしているのと同じ状態なのです。
ですから、そんなものを拾って食べてはいけません。まわりの人が怒って話しているのにつられて自分も怒るということは、「腐ったものを食べた人が吐いたものを、拾って食べているようなものだ」と肝に銘じておきましょう。けっして受け入れてはならないのです。心をそういう状態にまで育てられれば、相手の怒りに対する怒りなど、なんのことはなく即座に消えてしまいます。

書いてみると意外に大変だった・・・読むと2ページにしかならないんだけどね。
この部分はだいぶ最後の方なのでここで、上司を救い出そう、としている部分は相手の怒りを見通した上での行動、ということになるんだと思っている。

ちなみにこれらのことを自分なりに少しづつ意識して考えるようになってきたと思う。
最近は満員電車で疲れることはあっても怒りを持つことはなくなってきたし、悪い思い出もすぐに吹き消すように努力している。
それなりにでも「気の持ちよう」というものは変わるもので、仕事上でも怒りを含めることは少なくなったと勝手に思っている。

最後に、この本が一番伝えたい言葉は、「怒る人ほど頭が悪いという真理」・「怒らない人ほど智慧を持つ」だとおもっている。

同じような悩みを持つ人は自分だけで考えないで、知識を拾ってから考えたら良いと思う。
この話はおしまい。

*1:精神科という方向もあったかもしれないが、自分の中で上記事柄は「願望」であったため、「治療」であると認識している精神医療への意識は消えていた。